ヒヴァ - 博物館都市
ヒヴァの位置するホレズム地方は世界でも稀にみる長い歴史を誇っています。この地方はシルクロードができる何百年も前から、東西文明、南北の文化をつなげる都市として機能してきました。文明の揺籃の地だと言えるでしょう。この地方に人間が住みはじめ、農業を始めたのは紀元前3000~4000年のことといわれています。
ヒヴァは、2つの町に分かれる。城壁の外側は、いわゆるディチャン・カラと呼ばれる地区であり、かつては11の門が街を守っていた地区である。城壁の内側は、世界遺産にも登録されているイチャン・カラ地区であり、10世紀には建設されたといわれている煉瓦の城壁に守られている。現在の城壁は、17世紀にさかのぼることができ、その高さは10メートルに及ぶ。
ホレズムとは「太陽の国」を意味します。その名のとおリ、年間300日は雲ひとつ出ないという過酷な土地で、人々は昔からアムダリヤ川の流れに翻弄されてきました。川の流れが変わるたびにその流れに沿って人間も移動したといわれています。この地方は昔から様々な王朝によって支配され、何世紀にもわたって植民地として存在しました。
8世紀にはシルクロードが開通し、ホレズムは非常に栄えました。シルクロードの通商で蓄えた富を基盤として10世紀にホレズムはカラハン朝から独立を果たし、旧ウルゲンチ(現在のクフナ・ウルゲンチ)を都としてホレズム王国を打ち立てました。14世紀から15世紀半ばにかけてはティムールの支配下に置かれました。
ホレズム地方の一都市にすぎなかったヒヴァがスポットライトを浴びるようになったのは、アムダリヤ川の流れの変化に沿ってウルゲンチからヒヴァへと重心が移ってきた17世紀からです。
ヒヴァは2つの城壁で囲まれています。外の城壁「ディシャン・カラ」は19世紀の半ばに砂漠の境に築かれ、全長は6kmでした。しかし現在城壁はほとんど残っていません。内の城壁「イチャン・カラ」の長さは2kmで、高さは8m、厚さは約6mほどあります。城壁内には世界遺産の建物が多数残っていますが、現在の人々が暮らす住宅街が残っており、3000人ほどの人が住んでいます。城壁内は自動車の走行が限られていて歩道しかなく、静かです。
ヒヴァは、2500年以上前に作られた街で、ブッカラから北東に約480キロメートルのところにあり、ブッカラやサマルカンドのどちらよりも保存状態がよいと言えます。街の外壁は原型のまま残っており、18世紀以降ほとんど変えられていません。街自体が博物館になりましたが、中にはまたここに住みだす人も現れ、捕らえられたペルシャ人とロシア人の奴隷が取引されていた有名な活気ある市場を想像することが出来ます。イチャン・カラと呼ばれる旧市街には、歴史的建築物が揃っており、クフナ・アルク、タシュ・ハウリ宮殿、ハーンの住居跡などをみることができます。建築物は非常にシンプルで美しく、加えて中世の建築様式の規模の大きさ、木彫品の繊細さ、装飾品に織り交ぜられている技術の高度さなどがわかるでしょう。イスラム教寺院の尖塔、土作りの家屋の平らな屋根、力強い要塞の壁などを見れば、中央アジアの典型的な封建都市の様子をはっきりと知ることが出来ます。